上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
すでに新聞でも発表されていますが、このたび、30年間続けてきた教職を辞することになりました。4月からの職業は、プロサッカーコーチです。

30年前、草加東高校に赴任し、校長に「サッカー部は体育の顧問がいるから水泳部でいいよな」と言われ「サッカー以外考えられません」と主張し、先輩教師に「新任は何でもやるのが普通だ」と言われたのを今でも憶えています。

県大会に出ることが凄いと思っている草加東の生徒たち(本庄高校もそうですが)に、県大会に出るのは当たり前と思えるようにしたいと思いました。

当時の愛読書の『トレーニングジャーナル』にアメフトのラダートレーニングのことが書かれていたのを読み、まだラダーが売られていない時代に、業務さんにお願いして箒の柄を切って穴を空けていただき、そこに紐を通して繋いで、手作りのラダーを作りました。また、針金ハンガーをミニハードルの形に変え、ステップのトレーニングを行いました。

物珍しさもあって、やんちゃなサッカー部員たちが面白がってトレーニングに取り組みました。その結果、3年目には県大会に出場できました。また、5年目にはインターハイ、選手権ともにベスト16に入ることができました。

ベスト8を目指して頑張ろうと思っていた矢先、校長から「浦和市立高校からオファーが来たけどどうする?」と言われ、最初は断りましたが、「向こうはどうしても欲しいらしいから、行けば監督ができると思う」と言われ承諾しました。

サッカー部員に「本当に行っちゃうんですか?」と言われた時の視線は今でも忘れられません。

浦和市立高校を初めて訪れた際に「陸上部の顧問でいいよな」と校長に言われ呆然としましたが、交渉の結果(あんなにやる気があるんだから名前くらい入れてやればとなったそうです)、空手部の副顧問兼サッカー部のカッコつき第3顧問(当時、浦和市立高校は顧問は1つの部に2人までというルールがありました)になりました。

試合に出られない部員たちに教えながら、どうしたらこの子たちがもっと上手くなるかいつも考えていました。その結果、私の赴任時には球拾いしかしたことがなかった3年生が、選手権予選ベスト4の原動力となる大活躍をしました。

そのベスト4の試合を観て浦和市立高校への入学を決めた中学生の中に、後に浦和レッズの選手として活躍する堀之内聖君がいました。

彼が2年生の時のキャプテンの大野君は、昨年の国体少年の部の優勝監督で、4月から母校さいたま市立浦和高校の監督に就任するそうですが、彼が牽引したチームは選手権全国ベスト8で中村俊輔選手の桐光学園と対戦し、惜しくも0-1で負けました。

その3年後、浦和市立高校から上尾高校に異動し、念願の監督をすることができました。異動してすぐのインターハイ予選で県大会に進出し、10年くらい上尾にいてサッカーの指導がしたいと思っていたのですが、翌年、ワールドカップ組織委員会からのオファーをいただきました。また、同じタイミングで県トレのコーチのオファーもいただいていたので、悩みましたが、最終的に世界一のイベントに関わることを選択しました。

2002年のワールドカップの翌年の4月から、さいたま市立浦和南高校で5年間お世話になりましたが、その間に2軸動作に出会いました。当時選手権予選で準優勝した時にキャプテンと、浦和レッズで天皇杯の決勝でゴールを決めた堀之内君を東大附属中等教育学校へ連れて行き、私の2軸の師匠に2軸トレーニングをしていただきました。

それから十数年間、浦和南高校、熊谷高校、本庄高校のサッカー部員に2軸動作を教えながら試行錯誤を繰り返してきました。特に、本庄高校でサッカー初心者の女子サッカー部員に教えた経験はとても大きかったと思います。

4月から、教え子の堀之内氏が塾長を務める『浦和レッズサッカー塾』でヘッドコーチとして、熊谷高校時代の教え子のアシスタントコーチと2軸動作をはじめ、サッカー選手にとって不可欠なスキルを、週1回、小学生にスクールで教える予定です。教え子2人とタッグを組んで、浦和レッズの、そして日本サッカーの未来のために尽力いたします。

今回、塾長の堀之内氏の強い誘いがありこの決断に至ったのですが、ただ一所懸命、生徒たちが上手になって喜ぶ顔が見たくて取り組んできた私の実践を、元アジアチャンピオンズリーグ優勝メンバーの彼が評価してくれました。

私がプロサッカーコーチという職に就けることになったのも、「こんな練習意味あるの?」と思いながらも練習に付き合ってくれた草加東高校、浦和市立高校、上尾高校、浦和南高校、熊谷高校、本庄高校のサッカー部員たちのおかげです。

特に、先日の静岡遠征で物凄い成長ぶりを見せてくれた本庄高校サッカー部員は、私に自信を与えてくれました。やる気がある子に適切な指導をすれば確実に上手くなるという確信が持てました。

静岡遠征最後の夜に「人間の細胞は60兆個あり、3〜6ヶ月でそれらが全て入れ替わるにもかかわらず、同じ姿形を維持できるのはDNAのおかげです。文武両道と2軸動作のDNAはみんなの中に残したと思っていますので、代々後輩たちに引き継いでいってほしい」と話しました。

翌日、学校に、遠征に行けなかったメンバーも集まってくれ、そこでキャプテンが「福島先生に教わりたくて本庄高校を受験しました。先生に教わって自分が成長したと実感しています。先生の教えを伝えて行けるように頑張りますので、先生も新天地で頑張って下さい」と言ってくれたのを聞き、4月から教える子供たちにもそう思ってもらえるよう努力しなければと決意を新たにしました。

最後に、毎回ブログ更新を楽しみにして下さった皆様、本当にありがとうございました。

そして、本庄高校の男女サッカー部の生徒、卒業生、保護者、関係者の皆様、本当にお世話になりました。

教師として最後に呼名したのは1年7組の生徒たち、最後に担任をしたのは2年2組の生徒たちです。教師とて本庄高校を卒業します。

これからも本庄高校サッカー部が益々発展していくことを祈念しております。

サッカー部の生徒、卒業生のみんなへ、

これからは、同じ本高OBとして、また、サッカーを愛する同志としてお付き合い下さい。そして浦和レッズを応援してくれたら嬉しいです。よろしくお願いします。

本庄高校サッカー部顧問 福島智紀
関連記事
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。